まんまるボス外伝

さよなら


ブログに出すか否か迷ったんだけど
じぶんなりに思い切って記事にしたいと思います
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先々週の金曜日(12/19)
私は職場の忘年会で市内某所にて宴を楽しんでいました
18時半より少し前くらいから始まったと思いますが
このときはまさかそんなことが起きてたなんで思いもしませんでした

1次会が終わり帰り道が同じ方向の同期と2次会ってことで
自宅近くの居酒屋に寄ることにしました
居酒屋のカウンターでたわいもない話や大事(!?)な話をしていると
ケータイに着信がありました
相手はなんとヨメであった
うちのヨメは私が「飲み」のとき電話はおろかメールすら余程のことが無い限りしません
『なんだろ・・・』
あまり良い予感がしませんでした
「もしもーし」
「あっ、気をしっかりもって聞いてね」
私はただならぬ雰囲気に
「ちょっと待て。今から帰るから。それから話聞くから」
と言って電話を切り私は家に向かいました

3分くらいで家に着くとヨメがリビングで待っていました
そして神妙な顔をして口を開いきました
「○○のおばあさんが亡くなったんだって・・・」
「そうか・・・」

ヨメから電話をもらったとき
なんとなく自分の中ではわかっていました
ヨメから話を聞く前に自然に覚悟が出来ていたんだと思います

亡くなった祖母は母方のほうでした
高齢ではありますが危篤状態でもなければ入院加療中でもありませんでした
言い方を変えるとその祖母が亡くなったのは突然の出来事のようなものでした

私と同じ盛岡市内に住む弟からも電話があり
幸い彼は飲酒しておらず
夜中ではありましたが弟が運転する車でかけつけることにしました
祖母の家は私の実家がある町と同じところですが
盛岡から100km離れておりいくつもの峠を越えて祖母のもとへと向かいました

部屋で眠る祖母の顔は安らかでした
笑っているようにも見えました
祖母は誰もいない家でひとり亡くなっていたそうです
仕事から帰ってきた叔母が台所で倒れている祖母を見つけたとのことでした
亡くなったと思われる時刻は18時過ぎくらいと聞きました
(心不全だったと思います)

祖母は89歳でした
祖父と一緒に漁業を頑張っていました
漁師の嫁として家を守り子を育て
私達孫の面倒をみて
現在のところ7人のひ孫たちにも恵まれました

私はこの祖母の初孫になります
とてもよくかわいがられました
祖母は幼い私をおんぶしながら浜の仕事をしていたとよく聞かされています
大きくなってからは私も祖父母の仕事を手伝いました
浜仕事の時に食べた祖母が作ったとても大きいおにぎりや焼き魚がなつかしいです
夏の暑い日には井戸でスイカを冷やしてくれました
冬寒くて剣道の稽古に行くのが嫌になったときは飴玉を私の口に入れて
「がんばれ」と励ましてくれました
大学受験に失敗したときも「おめえは何も悪いことはしていない。来年また挑戦出来るようおとうさんに頼んでみろ」となぐさめてくれました

思えば子供の頃や多感な時期
ひねくれたり色んなことに興味も出てくるんですが
悪いことをして祖母をがっかりさせたくないという気持ちが
自制心にも繋がってたような気もします

とても強くてやさしい
母や叔母、私達孫、そしてその配偶者やひ孫からも
みんなから愛された祖母でした

祖母のことを「ばあやん」と呼んでました
今ばあやんと話が出来るならこんなことを伝えたいと思ってます

『ばあやん、突然亡くなってびっくりしたよ
誰もいないところでひとり逝くなんて気の強いばあやんらしいなぁ
大往生ってやつだねぇ
だけどみんな泣いてたよ
すんげえ泣いてたっけ
オレは悪いけど泣かなかったぞ
子供の頃ばあやんには泣いてるところよく見られてたから
最後くらいは泣かないようにがんばった
涙どころか言葉につまり声まで出なかったよ
ばあやんとの思い出を振り返ると涙があふれそうになる
ばあやんの訃報を聞き葬式までの間
オレは正直ひとりになりたかったのかもしれない
だから冷たくなったばあやん
骨になったばあやんのそばにあまりいてやれなかった
ごめん
何も恩返しが出来なかったなぁ
何もしてやれなかった
これ以上言葉が見つからねえよ
ただね
本当に本当に長い間お疲れ様でした
一生感謝してます
ありがとう・・・ばあやん』

我が祖母  享年90歳
やすらかに
[PR]
by bulltats | 2008-12-31 01:23 | つぶやき